私たちのロゴマークは、円環でかたどられた「NUCHI」の文字。円は途切れることなく続いていく「命の循環」を、そしてその中心に据えた文字は、沖縄の地で発酵という時間とともに紡がれる恵みを象徴しています。
沖縄には古くから「ぬちぐすい(命の薬)」という言葉があります。心身を癒やし、生命力を高めてくれる滋味深い食や体験のことです。私たちは、その精神を現代に甦らせたいと考えています。
CHAPTER ONE
創業者・仲宗根悦子の物語
[画像:創業期の悦子氏 / 手作業で糀を仕込む様子]
仲宗根糀家の創業者、仲宗根悦子が40代の頃のことです。ある日突然立てなくなり、救急車で運ばれました。心臓のバイパス手術を受け、その後、脳梗塞も発症しました。
仕事と家事に追われる日々の中で、手軽に食べられるものばかりを選んでいた毎日。その積み重ねが、ある日、体の悲鳴となってあらわれたのです。
病気になってはじめて、気づきました。人の体は、食べるものでできている。当たり前のはずの、その事実に。
そこから、悦子の食との向き合い直しがはじまりました。そして出会ったのが、糀でした。
[画像:沖縄の自然素材と糀 / イメージカット]
県外から取り寄せた糀を生活に取り入れるうちに、体調が、肌が、そして気持ちまでも変わっていきました。悦子はこう思うようになります。
沖縄にも、沖縄生まれの糀があってほしい。なければ、自分で作るしかない。
沖縄で黄麹をつくっている会社は、当時、一軒もありませんでした。糀づくりの世界に身を置いたこともなかった悦子は、書籍や県外の同業者から製造方法を学び、60歳を迎えた年に、一からの挑戦をはじめました。
自宅の小さなスペースで、すべて手作りで。温度と湿度を見守るために、毎晩遅くまで糀の番をしました。
試行錯誤の末、ようやく形になった沖縄生まれの糀。知り合いやご近所から注文が入り、「自家製の糀調味料がこんなに美味しいなんて」「毎日、甘酒を飲むのが楽しみになった」——そんな声が、想像をはるかに超えて届きはじめました。
自分が糀で救われたように、沖縄の糀で、誰かの明日をすこやかにしたい。——それが、仲宗根糀家のはじまりです。
CHAPTER TWO
2代目・山川の原体験
[画像:祖父との思い出(旅行中や食卓など、温かい記憶をイメージする写真)]
創業者から事業を受け継ぎ、仲宗根糀家の2代目として歩みを重ねる中で、私にも、食と命について深く向き合う出来事がありました。私の祖父が、97歳で天寿をまっとうしたのです。
祖父は、昔からよく食べる人でした。「食べ過ぎだから、もうやめておきなさい」と周りから口酸っぱく注意されていた姿を、今でも鮮明に覚えています。
90歳を過ぎてもゴルフに出かけ、旅にも出て、孫の仕事や世の中の動きを何でも知りたがる、好奇心旺盛な人でした。私は、そんな祖父が大好きでした。
[画像:沖縄の朝日や穏やかな風景 / 祖父を偲ぶイメージ]
ある時から体調を崩し、入退院を繰り返し、やがて介護施設に入ることになりました。あれだけ食べることが好きだった祖父が、食べることをやめました。そこから1ヶ月ほどで、祖父は静かに旅立ちました。
日に日に弱っていくその姿を見て、私は実感したのです。
一生のうちに食べることができる食事には、限りがある。その限りある食事で、私たちの体も心もつくられ、生きている。当たり前のことを、祖父の最後の姿から、改めて教わったのでした。
そしてこのとき、私は気づきました。悦子が病気を通して出会った真実と、私が祖父の死を通して出会った真実は、同じものだったのだと。
時代が違っても、きっかけが違っても、行き着くところは、ひとつでした。——食べることは、生きること。
CHAPTER THREE
そして、「NUCHI」へ
[画像:糀KOJI・食卓TABLE・恵MEGUMI・美BEAUTY・贈GIFTを象徴するビジュアル]
これまで私たちは、糀を中心とした商品をお届けしてきました。けれどこれからは、糀だけではなく、発酵の力と和食の知恵を土台にして、お客様の健康と美しさを支える商品を、より広くお届けしていきたい。
糀屋として培ってきたものを起点に、発酵調味料、出汁、サプリメント、スキンケア、そして惣菜やギフトまで——皆様の食卓と暮らしに寄り添う仲間を、ひとつずつ増やしていきます。
このブランドの転換点に、どうしても必要な名前がありました。

それが、NUCHI(ぬち)です。
—— 命を大切にする人へ、命を豊かにするものだけを。